環境省レッドリスト2020:絶滅危惧ⅠA類 / 岡山県版レッドデータブック2020:絶滅危惧Ⅰ類
▲日当たりの良い湿地の辺縁部に生育する。 花期は7~8月頃。紅色の花はかつて同じ湿地に生育していたというオグラセンノウ。 | ▲花は淡紫色、漏斗状鐘形で径1.5~2cm、長さ1~1.5cm。 花柄はごく短く、穂状花序のように見える。 茎は紫色を帯びる。 |
ヤチシャジンは日当たりの良い湿地に生える高さ50cmほどになる多年草です。 きわめて希少な植物で、環境省レッドリスト(2020)では、最も絶滅の恐れが高い「絶滅危惧ⅠA類」とされており、国内では、愛知県では「絶滅」(愛知県.2020.愛知県の絶滅のおそれのある野生生物 レッドデータブックあいち2020 植物編.愛知県.p.76)、現在は広島・岡山・岐阜県のみに生育するとされます。 ただし、岡山県では岡山県版レッドデータブック2020において「絶滅危惧Ⅰ類」とされていますが、近年は野生個体の生育は確認されておらず、栽培されている岡山県産の個体もないため、このまま生育が確認されなければ、いずれ「絶滅」と判断される可能性がかなり高い状況となっています(もし、ある程度の採集データのわかる、確実に岡山県産の本種を栽培されている方がおられましたら、当園までご連絡ください)。 なお、国外では、中国北東部(吉林省)・朝鮮半島北部にも分布しています。
花期は岡山県では7月から8月頃で、直立した茎の上部に1~4個づつ花が付きますが、花柄がごく短いため、遠目には穂状花序に見えます。 花冠は直径1.5~2cm、長さ1~1.5cmほどで、先は5中裂した漏斗状鐘形で淡紫色をしています。 花柱(雌しべ)は棍棒状で花冠と同長かやや長い程度で、柱頭は成熟すると3裂します。 雄しべは5本あり、長さは花柱の半分ほどで、雌しべより先に成熟します(雄性先熟)。 子房の基部(ときに花柄基部にも)には卵形~広披針形の小苞があります。 花後にできる果実は1cm弱の球形の蒴果で、先端に萼片が直立した状態で宿存します。 種子は長さ1.5mm程度の卵形~長卵形で茶褐色をしています。
▲花冠の先は5裂し、花柱は花冠と同長か、やや長い程度。 雄しべは5本、長さは花柱の半分ほど。 柱頭は成熟すると3裂する。 | ▲果実は1cm弱の球形で蒴果。先には5枚の萼片が直立した状態で宿存する。 果実の基部や花柄基部には小苞がある。 |
葉は革質で、茎葉と根生葉でまったく形状が異なります。 茎葉は互生、柄はなく、長さ2~6cmの卵形~長楕円形、葉縁には細かな鋸歯があり、花が付いている茎上部ではまばらに付く程度ですが、茎の下部ほど葉が多く、大きな葉が付いています。 一方、根生葉は、同属のツリガネニンジン A. triphylla var. japonica の根生葉同様に、長い葉柄があり、円心形をしています。 地下の根は淡褐色で、横方向の深いしわがある太いニンジンのような主根から細い根が何本も伸び、その先が肥大して小さい子ニンジンが付いているような状態になっています。 子ニンジンを細い根の部分から切断して植えると上部から発芽し、新たな個体となります。 乾燥した場所に生育するキキョウ Platycodon grandiflorusやツリガネニンジンの根にはこのような性質は見られず、湿地という不安定な環境に適応した、本種独自の特徴と考えられます。 また、太い根のしわは、おそらく根自身が収縮することで、地中に自らを引き込む「牽引根」と呼ばれるタイプの根であると思われます。 牽引根は、球根を持つ植物など他の植物にも見られますが、本種の場合は、子ニンジンを作ることと同様、不安定な湿地環境への適応と考えられます。
▲種子は長さ1.5mm程度、やや扁平な卵形~長卵形、茶褐色をしている。 | ▲葉は革質、茎葉は柄が無く互生し、長さ2~6cmの卵形~長楕円形で細かな鋸歯があり、 茎の下部ほど大きな葉が付く。 |
地下部の仕組みからは、本種が湿地の環境に適応した性質を持っていることがうかがえ、なぜ絶滅に瀕しているのか不思議に感じられますが、栽培してみると、湿地に生育する植物にも関わらず、根が水に浸かるような状態に置かれると、たちまち根腐れを起こして枯れてしまう「水に弱い」植物であることが分かります。 逆に水分が少なく、土壌が乾燥気味の状態になっても、当然ながら枯れてしまいます。 つまり、雨が降って湿原の地下水位が上昇しても根が水に浸からず、雨が少ない状況が続いても常に地下から一定の水分が上がってきて土が乾燥しない、地下水位の状態が安定した湿原で、しかも水が集まって水位が変動しやすい湿原中心部ではなく、湿原辺縁部の、きわめて限られた環境の場所にだけ生育可能な植物であると考えられます。
▲根生葉も革質で硬いが、同属のツリガネニンジン同様に茎葉とは全く形状が異なり、長い葉柄があり、円心形をしている。 | ▲地下の根は淡褐色で、太い主根から細い根が何本も伸び、その先端が肥大して子ニンジンのようになっている。 |
本種の和名を漢字表記すると「谷地・沙参」で、谷地(湿地)に生える沙参(ツリガネニンジンの仲間)という意味です。 また、属の学名 Adenophora は「腺を持つ」ことを意味し、種小名 palustris は「沼地に生ずる」ことを意味します(豊国秀夫 編.1987.植物学ラテン語辞典.至文堂.p.13,p.142)。
現在、当園で育成しているヤチシャジンは、広島県の岡山県境に近い場所の湿地で古屋野寛 前園長(故人)が1980年ごろ採集した種子に由来するものです。 同じ湿地にはオグラセンノウ Silene kiusiana も生育していたそうですが、その湿地は現在では残土処理場となり、埋め立てられて消滅してしまっています。 当園の湿地では、同郷(同じ湿地産)の本種とオグラセンノウが並んで咲く、かつての自生地で見られたであろう光景を見ることができます。
(2024.7.14 改訂)