▲「筒咲き」の頭花。本来先端が舌状に広がるはずの小花が、筒状に丸まったままになっている。 | ▲右:筒咲きの株、左:通常の花の株。筒咲き株は通常花の群落内に混生している。 |
カンサイタンポポは、その名の通り、関西一円に分布するタンポポの1種です。西日本に広く分布が見られるタンポポですが、「普通」に分布しているのは近畿地方から岡山県、香川県、徳島県といった東瀬戸内地域だけで、その範囲を外れると生育することは少なくなりますが、岡山県では県中部の吉備高原から南部の平野部にかけては、外来のタンポポを除けば、もっとも普通に見られるタンポポです。いわば、珍しくないタンポポですが、当園内では、ちょっと風変わりな花が咲く株が見つかることがあります。
タンポポの花は小さな花(小花)が集まった頭花(=集合花)で、筒状になった花弁の先が舌のように伸びた「舌状花」だけで構成されていますが、当園内には、なぜか舌状花が筒状に丸まったままの花をつける株が見られます。この株は2014年の4月に、園内での作業中に偶然発見したものですが、古屋野寛名誉園長に聞くと、園内ではこれまでに確認したことがないとのことで、どうやら最近になって、園内に自生するカンサイタンポポが何らかのきっかけで変異して出現したもののようです。また、同じ頃に、倉敷市立自然史博物館友の会の会員の方が、総社市内のカンサイタンポポの群落内で、花弁が無く、毬状になった頭花を持つ株を見つけられています。興味深いことには、これらの花の変異は、江戸時代の本草学者、岩崎灌園(いわさきかんえん)が著した日本最初の植物図鑑と言われる「本草図譜」の「蒲公英(タンポポ)」の項に、当園で見つかった株は「つゞざき/けんざき/いとざき」として、総社市の毬状の頭花の花は「ふきづめ」という名で、タンポポの品種として掲載されています。江戸時代には、ツバキやサクラソウなど、様々な植物の栽培を楽しむことが流行し、様々な園芸品種が作出されたそうです。その一部は現在でも伝統的な品種として栽培がおこなわれ、愛されています。タンポポについても例外ではなく、多くの園芸品種が存在したと言われ、「本草図譜」にも「筒咲き」や「ふきづめ」以外にも「黒花」「青花」「紅花」といった品種が紹介されていますが、その品種の多くがすでに現在では失われているようです。
▲横から見た「筒咲き」の花。総苞の様子は普通のカンサイタンポポと変わるところはない。 | ▲本草図譜」の「蒲公英」のページ。左ページの一番右に「つゞざきたんぽゞ」が描かれている。(画像は国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/ より転載) |
当園に出現した「筒咲き」株は、江戸時代から栽培されていたものが、何らかの原因で園内に侵入したものなのでしょうか。「筒咲き」株を観察していると、完全な「筒咲き」のものは、花弁内部に雄しべと雌しべがくるまれてしまっているため、物理的に受粉ができないようで、頭花は結実せず(カンサイタンポポは自家受粉は行わない)、やがて花茎は枯れてしまいました。また、株の一部を掘り上げ、温室内でポット栽培をしてみたところ、花期の初め頃に伸びてきた花茎には、筒状の小花と通常の舌状の小花を両方持つ頭花がつきましたが、野外に残しておいた株は、最初から筒咲きの頭花が咲きました。さらに、園内のカンサイタンポポを探してみたところ、筒咲きの頭花と通常の頭花を両方持つ株も見つかりました。これらの事実から、「筒咲き」の性質は完全に固定されたものではなく、おそらくは「筒咲きになりやすい」性質をもった株が、温度や水分条件、踏みつけなどの外的要因によって、「筒咲き」の頭花をつけるのではないかと推測しています。
4月に当園の見学に来園された方は、運が良ければ、数百年の時を超えて甦った「筒咲き」のタンポポを観察することができるかもしれません。
(2015.4.18)
▲総社市で発見された「ふきづめ(吹き詰め)」のカンサイタンポポ。(写真は発見者の方から提供していただいた) | ▲「筒咲き」の株を温室内で栽培したところ、通常の舌状花と筒状の小花が混ざった状態の花が咲いた。 |
▲同じ株に出現した、通常花(右・中央)と筒咲き花(左)。外的要因が筒咲き化を促すのかもしれない。 | ▲カンサイタンポポが一面に咲く当園の湿地エリアの観察路。遺伝的多様性が変異株の出現の一因か。 |