▲貧栄養で良好な湿原植生が発達する環境よりも、草丈が少し高めの、中栄養の場所に生育する場合が多い。 | ▲6~8月頃、茎上部に10個前後の花を咲かせる。萼片と側花弁は黄色だが、唇弁には紅紫色の斑紋がある。 |
カキランは、北海道から沖縄にかけての比較的日当たりのよい湿地に生育する高さ30~70cm程度の多年草です。 鹿児島県南部から沖縄にかけて分布するものは花の唇弁が側花弁と同形で、品種 イソマカキラン f. subconformisとされるほか、国外では、朝鮮半島、中国、ウスリー川流域に分布します(大橋広好・門田裕一ほか編.2015.改訂新版 日本の野生植物1.平凡社.p.198)。 岡山県でも県下全域の湿地で比較的よく見られる湿生ランですが、湿原の中では、同じく湿性のランとして知られるトキソウ Pogonia japonica、 サギソウ Pecteilis radiata が生育するような、貧栄養で草丈の低い、いわゆる良好な湿原植生が発達しているような場所に生育することはあまり多くなく、少し草丈の高い、中栄養の環境に生育します。
花は、6~8月頃(岡山県南部では6~7月)、茎の上部に硫黄色~橙黄色をした1.2~1.5cm程度の花を10個前後咲かせます。花は萼片と花弁が組み合わさっていますが、本種の萼片と側花弁は同色で大きさもほぼ同じであるため、ランの花の構造についての知識がなければ、どれが萼片でどれが花弁か分からないかもしれません。 一見すると黄色系一色の地味な花のように見えますが、花の唇弁には紅紫色の斑紋があり、花を正面からのぞき込むように観察すると、まったく違った印象をうけます。 花の背後の花柄のように見える部分は子房で、花後には肥大して長さ2~2.5cmほどの紡錘形の果実となります。 果実は蒴果(熟すと裂開して種子を散布する)で、内部には長さ1mmほどの非常に小さな種子が多数詰まっており、風などによって周囲に飛散することで散布されます。
▲花後は、花時には花柄のように見えた子房が膨らみ、長さ2~2.5cm程度の紡錘形の果実ができる。 | ▲果実は蒴果で、中には非常に小さな種子が詰まっており、風などで飛散する。(写真は未熟果実を割ったもの) |
葉や茎など全体が無毛で、葉は茎に互生し、長さ7~12cm、幅2~4cm程度、先が尖った狭卵形で縦脈が目立ち、基部は短い鞘状になって茎を抱いています。 茎の下部は鮮やかな紫色を帯びており、少数の鞘状葉があります。 根茎は横に這うように伸びて、節から根を出します。
▲葉は互生し、長さ7~12cm、幅2~4cm程度、縦脈が目立つ。葉の基部は短い鞘状になって茎を抱いている。 | ▲茎の下部は鮮やかな紫色を帯び、少数の鞘状葉がある。根茎は横にはうように伸び、節から根を出す。 |
和名は「柿・蘭」で、花の色を柿の実の色に例えたものとされます。 岡山県下で見られる本種の花は、黄色味が強い硫黄色の花が多いように思いますので、あまり「柿色」とは思えないのですが、地域や個体によっては、確かにカキの実の色を思わせる、オレンジ色の強い橙黄色の花も見られます。 また、本種には「スズラン(鈴蘭)」という別名もありますが、現在、スズランというとクサスギカズラ科(旧来の分類ではユリ科)のスズラン Convallaria majalis var. manshurica を指すため、本種は「スズラン」の名で呼ばれることはほとんどありません。 しかし、江戸時代頃までは、「スズラン」と言えば本種のほうだったようで、江戸時代後期に発行された飯沼慾斎著「草木図説」(前編 草部 巻十八)には、本種はスズランとだけ書かれ、カキランの名は書かれていません。 また、クサスギカズラ科のスズランは、「キミカゲサウ(君影草)」の名で掲載(前編 草部 巻六)されていますが、「スズラン」の名は書かれていません。 しかし、1907年発行の牧野富太郎博士による「増訂草木図説」には、本種の別名として「カキラン」の名が追加されているほか、「キミカゲサウ」の方にも別名として「スズラン」の名が追加されています。 このクサスギカズラ科の「スズラン」は、漢名も「鈴蘭」であり、混乱を避けるために、この頃から本種を「カキラン」、「キミカゲサウ」を漢名にあわせて「スズラン」と呼ぶようになったのかもしれません。
▲現在、「スズラン」と言えば、江戸時代には「君影草」と呼ばれていたクサスギカズラ科のこちらを指す。 | ▲神楽鈴」を持つ巫女 (歌川広重,国貞「観音霊験記 秩父巡礼十八番神門山修験長生院 巫女の神託」 国立国会図書館デジタルコレクションより転載) |
ちなみに本種の別名としての「スズラン」の由来については、多くの植物図鑑で「蕾の形を鈴に例えたもの」と紹介されています。しかし、本種の蕾は形だけ見れば鈴に見えないこともないですが、色は緑色で、簡単に鈴が連想されるような姿ではありません。 この説の初出はおそらくは、「牧野新日本植物図鑑」(1961)に「鈴蘭はつぼみのときの花形を鈴に見立てたもの」と書かれていることに拠っているようです。 ただ、「牧野日本植物図鑑」(1940)には、「叉鈴蘭ハ其花體ノ形容ニ由ル」とのみ書かれており、牧野博士自身は「つぼみのとき」とは書いていません。 神社などで巫女さんが奉納の舞を舞う際などに持つ、小さな鈴がたくさん付いた「神楽鈴」というものがありますが、「鈴蘭」とは、黄色い花が多数咲いている様子を「神楽鈴」に例えたもので、牧野博士の言う「花體(体)」も、蕾ではなく、花の咲いた様子を指しているのではないでしょうか。